松あき子の部屋

私が観た日本の伝統芸能・工芸品などを書きとめます。

薪能にて、大きな宇宙を遊ぶ

今月頭に平安神宮にて京都薪能が行われました。京都検定学芸員の資格を持つ京都通の友人に誘われ、足を運んできました。と言っても私は大阪で7時まで仕事、必死に駆けつけても8時半頃の到着。しかし曲が「石橋(しゃっきょう)」でしたので行くことにしました。豪華絢爛な獅子の舞が楽しめるので結構好きなんです。お能の「石橋」は、歌舞伎「連獅子」の元にもなっています。どんなに修行を積んだ高僧でも易々とは渡れない石橋は苔むして滑りやすく、橋の下には深い谷が待ち受ける。そこへ各地巡礼を終えた寂昭法師がたどり着き渡ろうとすると止める者がいる。しばらく待っていると文殊菩薩の使いである獅子の親子が現れ、石橋の上を跳び回り戯れ勇壮に舞う、というお話です。白頭が親獅子、赤頭が子獅子です。歌舞伎では親子の動きをピタリと合わせるのだそうですが、お能ではあえて合わせるのではなく、それぞれの動きをずらしながらも個々がバラバラではなく、お互いが合うように見せる、のだそうです。ですので舞台上の獅子が生き生きと本当に自由に遊んでいるように見えるのです。美しさの形はそれぞれに違うんですね。

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石橋を拝見するといつも、人は謙虚さを常に忘れてはならないなと思い出します。どんなに知恵を得て科学が発達しようとも、人間にはとても及ばない世界や宇宙があるのだということを感じます。神様の領域と言うのでしょうか、足を踏み入れる事が決して許されない世界があるのでしょう。でもそれでいいのではないでしょうか。人間の力はすごいけれど、かといって手のひらの上に種を置いていても、私たちの力だけでは芽をださせることさえできません。そう思うと、自分もこの宇宙の中の一部として生きているという実感を得ることができて、なんだか心が落ち着くのです。

 

石橋は、その華やかな舞台で海外の方にも人気ですし、単純にとても楽しめる曲だと思います。今回のように子獅子が増えるという演出もあるようです。隣の男性も「今日は凄かったな、赤いの(子獅子)が3匹もおったやん!」と喜んでおられました。いつも半能でしか見た事がありませんが、でも好きなのは後場(のちば)だからいいかなと思ってます。この時も丁度、夜空の中に薪の灯りでぽっかりと浮かんだ橋掛りに親獅子が現れる所で、吸い込まれるように雄大な宇宙へと誘われたのでした。