松あき子の部屋

私が観た日本の伝統芸能・工芸品などを書きとめます。

三味線のお稽古

久しぶりに本格的な台風の到来でしたね。仕事も臨時休業となりましたので、家で落語などを聞いておりました。林家染丸師匠の「豊竹屋」で大笑いです。浄瑠璃のお稽古をしている男の話なんですけど、少し前の大阪には実際あんな人が沢山いて、そこかしこで各々流の義太夫節が聞かれてだんでしょう。無理矢理ど下手くそな義太夫を聞かされて難儀する、なんて落語もありますもんね。まあ何かお稽古をするなら、あれもこれもとかじるんやのうて一つに絞った方がええと言われますけど、私は三味線をお稽古しております。浄瑠璃が好きなんで、もちろん太棹です。今は津軽三味線義太夫節を勉強しています。同じ太棹同士ですが、弾き方や撥、駒、糸などの細部まで全く異なっています。津軽三味線で今の太棹を使うようになったのは最近で、民謡研究家の松本広泰先生によると明治の末のことだそうです。弘前の奏者が大阪の浄瑠璃に魅せられたのきっかけだとか。それをじょんから用に改良していったんですね。

f:id:matsuakiko:20140810162927j:plain

(駒は義太夫、三味線は津軽用とあべこべですが。。私の三味線です。)

 

師匠と言うのはその道を極めた方の事ですが、それは技術的な面だけではありません。私が感服しますのは、師匠方の人間の内側を見抜く力です。義太夫節文楽座の野澤錦糸師匠にお稽古を付けて頂いています。初めのお稽古の時に私が弾く姿を見て一言、「これは自分で(自分には)出来んと思うてる手やな」と仰いました。無論、私が必死のパッチで弾いていたことは言うまでもないのですが。足下からブンブンと揺さぶられるような、私にはとても衝撃的な一言でした。と、言うのもこの言葉は私の生き方そのものを指摘していると思えたからでした。その日も次の日もしばらくは動揺していたのですが、そっか!と気づいてからはとても前向きになれました。こんなにずばりと見抜いてしまう師匠って凄いなと思いました。浄瑠璃に携わる友人に話すと、「それは毎日、大夫さんと差し向かいで真剣勝負をしているからだよ」と教えてくれました。なるほど、その通りですね。

 

三味線を構える時、又、師匠と向かい合って座る時、本当に嘘がつけません。でも心の中には、ちょっとええとこ見せて褒められたいとか、ヤバ!お稽古できてへんとか、色んな見栄や諸々があるんですよ。でも全て見抜かれてしまいますから、もう仕方ないんです、自分をそのままさらけ出すしか、ないんです。最初はそれが怖かったんです。自分自身が自分と真剣に向き合う事でもありますから。でも、お蔭で自分というものもよく見えるようになってきます。そして私はそれを肯定的に受け入れて消化していきたいと思っています。どんな自分でも、あかんなと思う所があればそこから進んで行けばいいのですから。お稽古は神聖なもんやと、桂米朝師匠はお弟子さんに話されるそうですが、確かに師匠と向き合うあの時間は、緊張感と幸福感に満ちていて代え難い貴重なものです。まだまだこれからですけど。。

 

やりたい事はまだ三味線以外にも沢山あるのですが、何事も一歩一歩。目の前にある事を丁寧にして行きたいです。チュウチュウかじる、で終わらないように!!