松あき子の部屋

私が観た日本の伝統芸能・工芸品などを書きとめます。

義太夫三味線発表会へ向けて 一

もうすっかり寒くなりました。霜月も半分を過ぎて来年のことなどが話題にあがるようになりました。今年は紅葉が美しいですね。職場の紅葉が驚くほどに深い紅一色に染まりました。赤い色ってこんなにも印象的だったのかと、見上げる度に言葉を失っています。紅葉の木にも私達と同じ赤い血が流れているんじゃないかと思ったほどです。さて、来年の話ですが。。来年1月に、お稽古をしている義太夫三味線の発表会が決まりました。メンバーは皆、習い始めて1年という本当の駆け出しばかり。弾けるというより、やっと三味線を構えられるようになったといった所です。しかし、やる事が決まってしまいました!!!根気よく教えて下さる野澤錦糸師匠が「ここでちょっとでも弾けたら自信になるし次に繋がるから」と舞台を設定して下さいました。「無理なことはさせへん」という師匠の言葉を信じて、自分の出来る事をやってみようと、私も参加する事にしました。だってこんな貴重な機会、次になんて言っていたら次なんてないかもしれませんから!どうなるか全く未知ではありますが、その当日を迎えるまで、ちょこちょことここでレポートします!

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義太夫三味線で使用する撥。これを握るのも少し慣れてきました。)

 

私が担当する曲は『菅原伝授手習鑑』の“寺入りの段”、冒頭から4分少々の部分です。番組上もこの段が始まりですので、つまり、発表会のトップバッターを勤めるという事になります。ガビーンってやつです。今はとにかく毎日音源を聞いて、なんとなく覚えるという段階です。ま、間に合うのでしょうか・・・?苦労しているのは譜面の読み方です。津軽三味線でだいたいの勘どころ(ツボ)は把握しているのですが、ツボの呼び方が全く違っているのです。津軽はツボを数字で表すのですが、義太夫はヌとかケとか言葉です。例えば三の糸④のツボあたりですと、わ(ハリキリ)となります。特に私は譜面ではなく音で覚える派ですので、津軽でも普段は譜面をあまり読みません。ですので、これを照合させていく作業に涙が出そうです。

 

こんな状況ですが、年を越せば寺入りが弾けるようになっている自分がいるはずです。日々の積み重ねでしか乗り越えることはできません!ので、今日もこれからお稽古に励みます。また少し進展したら報告しますね。私も楽しみにやって参ります。それではまた!

 

日本の四季、いろいろ

あっという間に日が短くなりました。仕事を終えるともう暗くなっていて肌寒い。そりゃあそうですね、もう神無月ですよ。金木犀のいい香りがして、のんびり出てきたのか、しんがりを勤める蝉の声がこないだまで聞こえていましたが、さすがにもう聞かれません。職場でも衣替えが済み、そうしたら少し蒸し暑さがぶり返したり、台風で休業したりと、秋の天気はころころと変わりますね。二十四節気では寒露を迎えます。もう少し秋が深まると霜降、露から霜に変わります。ぐっと空気が冷えて行きますね。葉がそろそろ色付いて、山も装う季節。台風一過の雨上がりに、庭先の秋明菊が可憐に咲いていました。

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昨日は後の名月、十三夜でしたね。中秋の名月の約一月後、新月から数えて十三日目の夜にも、お月見をするのだそうです。満月ではないのですけど、それがいいのでしょうね。今宵は義太夫のお稽古の帰り道、少し欠けているお月様を見上げながら、お三味線のお稽古をもっと頑張ろうと思いました。来年早々にも、錦糸師匠が発表の場を設けて下さるそうなので!!まだまだのレベルだけど、それでもコツコツ続けて少し音が出せるようになってきた事には満足しています。明日は満月、また空を見上げてみたいです。

 

襲名披露 染弥改メ 三代目林家 菊丸

秋晴れの美しい9月27日、三代目林家菊丸さんの襲名披露大阪公演が行われました。開場前のロビーは贈られたお花やのぼり旗で彩られて大変賑やか、お客の熱気もすでに高まっていました。口上には笑福亭仁鶴師匠、桂文枝師匠や米團治さん、林家染丸師匠方々が並ばれ華やかでした。115年ぶりの大名跡を継がれたと言っても、三代目菊丸さんは今年40歳とまだお若いので、ベテランの師匠方が揃って、お客様のお力添えで大輪の菊を咲かしてほしいと述べておられたのが印象的でした。文枝師匠はこれからの時期、全国各地で開かれる菊祭りのお話を引き合いに、勝ち菊を育てる為にどれだけの時間と努力が必要であるかを話されました。三代目菊丸という菊の花がどんな風に花開くのか本当に楽しみです。 

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その菊丸さんの最初の一席は「子は鎹」でした。人情噺は染弥さん時代から、’らしさ’が感じられてとても好きです。染丸師匠も菊丸さんのことを、根が優しいと仰っていますが、そういう噺家さんの人となりが出てくるのが人情噺やないかなと思います。以前、鶴瓶師匠の子は鎹を聞いた時には、どっしりした父親の愛情や寂しさが印象深かったのですが、菊丸さんの子は鎹は、子供の素直さや明るさがとても印象的でさわやかな気分になりました。

 

「芸は人なり」と、菊丸さんはいつもサインに添えて書かれます。喋る技術が身について、どんなに演じるのが旨くなっても、芸を通して必ずその人そのものが表れるからでしょう。高座に上がってお客様と対面する時、その真剣勝負の場で嘘はつけないものだと思います。芸にはやはり、技術を超えた何かがありますよね。どれだけ真摯に自己を見つめお稽古を重ねてきたのか、その結晶が芸人の舞台だと思います。コツコツと努力を重ねると必ず大きな結果に結びつく、それを見せてくれているのが菊丸さんの高座やと思いました。菊の花言葉は高潔や誠実。雨や台風にうたれても野太く咲きながら、秋空に堂々と香り立つ凛とした菊の花のように、三代目菊丸さんもまた大輪に開くよう私も微力ながら応援したいなと思いました。菊丸さん、襲名本当におめでとうございます!!

 

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(三代目菊丸の紋、「乱菊」。菊丸の名跡は師匠染丸の師匠筋にあたる為、定紋を新たにされたそうです。)

 

 

山河によせて

先日、敬愛する都若丸座長の舞台を拝見しました。座長の舞踊の曲に五木ひろしさんの「山河」があります。これが本当に素晴らしいので書き留めておきます。(以前、呉服座で一度拝見をした事があって、また見たいなあと思っていたので、飛び上がりそうな程嬉しかったです。)

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(都若丸座長。撮影は私。こちらは山河ではなく、別の曲をされた時のものです。)

 

壮大なスケールで命や愛について歌う「山河」をご存知でしょう。空に奇麗な雲が浮かんでいたり、ゆったりと連なる山の姿なんかを見ると、地球に生まれて良かったな、なんて思ったりするんですが、この曲を聞くとそんな喜びを感じます。若丸座長の表現はとても雄大で生命力に溢れています。指の先にまで細やかな表現がされていて、とても伸びやかで気持ちがいいのです。晴れやかな表情で踊って下さるので、こちらの心もすーっと開かれていくようです。本当に楽しそうに踊られます、喜びそのものっていう感じで。そうした姿を拝見していると、ああ、こうやって体の全てを使って生きる事を表現するのが舞踊だなあと、思います。悦びもあれば苦しみもあるし、後悔だってするし。でもやっぱり前を向いて行こうと思うのが、人生です。大袈裟かもしれないけど、座長の「山河」を見ながら、生まれてきて良かったなと思いました。これは舞踊の技術を超えた所にある表現力ではないかなと思います。

 

もちろん、この曲の美しさも手伝っていると思います。詩がいいですよね。

 

   顧みて 恥じることない足跡を山に 残したろうか

   ふと想う 悔いひとつなく悦びの山を 築けたろうか

 

私もまっすぐ素直に生きていきたい。欲を出すときりがないし、かと言ってなくてもだめだし。難しいですけど。せっかくの人生、一度きりだから、思いっきり生きて行きたいなと改めて思います。時々は直球以外の変化球も投げられるようになりたいと願いながら。。。機会があれば是非、若丸座長の舞台をご覧になって下さいね。

 

 

踊る、ということ

人はなぜ踊るのか?私は3歳頃からクラシックバレエを習っていましたので、自我が芽生えた頃には週に3日4日お稽古へ行くのが当たり前の毎日でした。なぜバレエを習っているのかなんて考えた事もありません、気が付けばやっていましたから。今はもう辞めていますが、おかげで、踊りを習う事は大好きです。日本舞踊以外はほぼ一通り体験も含めてやってみました。西洋のダンスはバレエが基礎ですから、何となくできるものです。ただアルゼンチンタンゴのように男性とべったりと組むダンスはなかなかリードされる感覚を掴むのが難しかったです。

 

先日のお能の会で河村晴道先生から西洋のダンスと日本の舞踊の違いについて少し伺いました。根本の違いは自然に対する考え方の相違からきている、というお話でした。西洋では厳しい自然環境の中で、人々はその自然をコントロールしようとする事で生活を切開いてきたけれども、一方の日本では、自然と共に歩み敬いながら生きてきたという所に大きな違いがあるのだと。バレエでは上へ上へと跳んだり、トウシューズで回転したり足をあげたりと、大地から離れて跳躍するという形をとりますが、日本舞踊や仕舞では摺り足にも見られるように、大地との融合や一体化を目指している形となるのですね。重力に逆らうのではなく、それを感じながら舞う。こうした違いは舞踊だけではなく、宗教や国の成り立ちにも現れているのでしょう。

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(祖父が謡や仕舞のお稽古で使用していた扇です。)

 

日本では古来、舞踊は神に捧げる、又、神と一体化を目指すために行われていたと聞いています。農作物を豊富に実らせてくれるのは自然である神ですから、雨乞いをしたり、太陽を求めたりする為に、神様のご機嫌伺いに踊ったり歌ったりしていたのでしょう。そこから美しさを追求したり、舞踊の技術が継承されたりするようになり、プロ集団みたいな人たちが現れてきた。かつては将軍達も愛し庇護をしたし、大衆の人々も熱狂し楽しむようになった。日本の舞踊の形には独特の美しさがあるなと思いますが、自然や神との融合を目指す現れだったのかと思うと、改めて感じ入るものがあります。憤怒の表現というのがありますけど、これは感情的な怒りではなく、地球の奥底から沸き上がってくるエネルギーのようなものを表したいのだと仰った能楽師の方がいました。面白いですね。

 

日本の舞踊はまだ未体験ですので是非きちんとお稽古してみたいと思っています。少し勇気がいるけれど、まだ体験講座しか行っていない仕舞とか。。。幼稚園時代に習っていたバレエの先生は日舞も素晴らしい先生で、黒紋付袴姿で美しく舞っていた舞台を今でも覚えています。自然や日本の神々様の息吹を少しでも感じられるように、、日本の舞踊は奥が深いですね。

 

 

TTR能プロジェクト2014公演 〜善知鳥(うとう)〜

TTR能プロジェクト」をご存知でしょうか?囃子方の成田達志さん(小鼓方)と山本哲也さん(大鼓方)が結成されたユニットで、お能を広く気軽に楽しめるようにプロデュース活動をされています。“門閥や所属地域を超えた実力主義による”キャスティングや魅力的な選曲を行い、普段ではなかなかお目にかかれないような贅沢な舞台を見せて下さいます。私も毎回ではありませんが、可能な限り伺っています。昨年の梅若玄祥さんによる生き生きとした『卒塔婆小町』は今でも深く印象に残っています。今年の曲は『善知鳥』でした。生活の為に鳥を殺して家族を養っていた猟師が、その狩猟方法の残虐性から地獄に落ち、毎日その鳥に目をえぐられ肉を裂かれるという苦しみを受け、自分の子供に近づく事も許されない。その苦しみから救ってくれと地獄から現れ出るが、結局成仏はできないという、全く救いのないお話。。今の私には重過ぎる主題でした。でも、それなりに楽しみ方はあるのです。お能の優れた所の一つは舞台の使い方です。通常の芝居のように大道具や背景セットなどがありませんから、役者達の所作などで舞台転換していきます。今回も舞台上にあの世とこの世が現れてゆらゆらとしておりました。

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お能の表現力はいつも凄いなと思います。無駄が削がれていて、道具を使ったりしないので、動きそのものがフォーカスされると言うか、役者がこう演じてるんやなという動きではないのです。猟師が親鳥の鳴き真似をして子鳥を殺す場面や、地獄で化鳥が血の涙を降らしながら飛び交う様、目をえぐられる苦しさなど、今その場で実際に起きている事として現れてきます。あまりに怖かったので、時々を目をグッと閉じて聞いていました。(そして時々起きていました。。。)

 

今回はプレ勉強会にて河村晴道先生のお話を伺ったり、舞台に上がって目をえぐられる所作を教えて頂いたりしました。この時伺った日舞と西洋の踊りの違いがとても面白かったのです。私はずっとバレエを習っていたので、とても納得でした!最近、舞踊などもよく拝見するので日舞にもとても興味があります。いつか祖父もやっていたお能の仕舞を私もやりたいと思っています。河村先生のお話はまたいつかご紹介しますね。

 

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所で、成田先生と山本先生は一般人に向けて鼓の体験教室などもしておられます。以前、私も申し込んだことがあるのですが、生憎の体調不良で欠席をしました。すると次回のお稽古の前に、少し教えてあげるよお申し出下さったのです。なんと!!丁寧で優しい方だなあと嬉しかったです。(結局インフルエンザで次回も欠席したのですが・・・)お能の囃子は独特の旋律で、あの笛の音が聞こえてくるとゾクゾクっと興奮します。時間の軸を超えて、地上のボーダーも超えた空間へトリップできるのがたまらないお能の魅力です。現世にいると忘れたいこともありますでしょう?お能を観ると、不思議とすっきりして現実に戻って来られる、そう思います。(あ、曲にもよるかもしれませんが。)皆様もご一緒にいかがですか?

 

 

 

日本の四季、いろいろ  

気が付けばもうツクツクボウシが鳴き始めて、空もすっかり高くて、夏祭りも終わり。。賑やかな葉月も終盤、なんとなく寂しさを感じる頃になりました。明日は二十四節気処暑を迎えます。この暑さが夏の名残、まだ「あっちい〜」っと言える間は季節が進むのをとめられそうな気がします。それとも、もう十分でしょうかねえ。この夏は雨が多かったですね。いつもこんなだったかしら?ここ数年、本当に季節がめまぐるしく進む気がして、私達は置いて行かれそうです。日本の四季はいつか無くなってしまうんでしょうか。そうしたら今鳴いている蝉の声も消えてしまいます。やはり、夏はおもいっきり暑くなければ!日中に吹く風や雲の姿、鳴く虫の声が変化するのに気づいて、季節の移ろいをずっと身近に感じていたいですね。

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先日、お盆を過ぎてからですが田舎へお墓参りに行ってきました。子供の頃は毎年夏休みを過ごした祖父母の家。大人になってからも帰っているのですが、それでも懐かしいものですね。聞こえてくる方言とか、昔からあるスーパーとか。でもいつも目印にしていた魚屋が店を閉じ、デパートも更地になっていました。私の田舎は四国で、子供時代も瀬戸内海に面した国々で育ちましたので、あの穏やかな海を見るとほっとします。旅行で日本海や太平洋側へ行くと、全く違いますもんね。私にマイペースでのんびりしてる所があるのは、育った環境もあるのでしょうか・・・。大阪には鍛えられましたけども。

 

時々こうしてご先祖様や自分のルーツを想い、その土地に出向く事ができるのはいいですね。足場が固まるというか、心が安定します。何よりこうして生きている事にも感謝できます。毎日楽しく仕事ができて、好きな事ができて、色んな方にご縁を頂けるのは、これまでのご先祖様がいらしたから。と、思うと私もそれを繋いでいかなければならないのか・・・? ま、それはまたおいおい考えるとして。まだまだ暑い夏の果て、もう少し長く蝉の声を聞きいていたい。とんぼが風にのってやって来ると、じきに秋が訪れますから。皆様も残暑にお気をつけて。又、広島の方々が早く救出されますようにお祈りします。